水晶体と水晶体、そしてその等価な相互による視覚へ[Real Fish Eye Lens  Project]より

水晶体と水晶体、そしてその等価な相互による視覚へ[Real Fish Eye Lens  Project]より

『水晶体と水晶体、そしてその等価な相互による視覚へ[Real Fish Eye Lens  Project]より』(4.2021-12.2023)ミクストメディア、写真、映像、着ぐるみ、VR

新鮮な魚の水晶体をレンズにして図像を結像させる方法と環境を実験することに始まった制作。
水晶体=レンズである。釣ったり、買ったり、貰ったり、拾ったり。魚の目を始めとした生物の水晶体を取り出して、それぞれの個体に合ったレンズマウントを制作し結像させる。被写体は主に水晶体である。キョリや時間によってそれは水晶体として認識されないかもしれない。何かの水晶体で誰かの水晶体に向き合うことで、腐るレンズのうつすものの空間的視覚を探す旅です。最後に出会った水晶体は、山小屋に向かう途中、目の前でなくなった小鳥の目です。その小鳥の水晶体を通して、向き合いました。自然の中で過ごす身体は、都会的身体にとっては残酷な行動をとるかもしれませんが、感傷的な生物に戻ることもあります。

Crystalline lens to Crystalline lens , and Sense of sight that it equally brings about each other”from [Real Eye Lens Project]”(4.2021-12.2023)
Mixed media, photography, video, stuffed animals, VR

『旅』(写真)

 魚を釣ったり、買ったり、頂いたり。捌き、調理して、食べ、その魚の水晶体を用いて、食事する人や魚、料理、周りの環境を撮影していく。魚を捌くことやその水晶体を通して見ることは、自身の身体性に影響を及ぼす。生の触感に対して起こす肉体の反応や内臓感覚、水晶体を通して見えなさから見出す、慣れない見え方に対する体性感覚は変化する。この変化は視覚も進化させただろうか。

 ある日、私の目はヒトが結像しなくなり、水晶体としか見えなくなった。視覚は欠落した。その身体と向き合うために、水晶体を水晶体でみることから再開することとした。水晶体をレンズにして水晶体の結像することは、視覚の中心性や人間の視界への疑問を再度認識し、新しい視覚の可能性を切り拓く契機となり、多様な死があるならば、多様な水晶体があるのだと関心の所在は変化していく。それは生物の数だけ、視世界があること、生態系があることにつながる。

 2021年〜2023年、日本やアイスランド、北欧からヨーロッパを旅した。市場・水辺を中心に周り、土地の死生観を知るための手掛かりともなるお墓、火葬場、教会、聖堂なども巡る。宿やその土地で親しくなった人のキッチンで料理し、水晶体を通して見た。そこで入手した水晶体で、そこで出会った水晶体、引いては目を撮影した。この旅を通して、水晶体に向き合い、眼に向き合い、ヒトに向き合い、その向き合うための視覚に向き合う試みであった。

『埋葬』(映像、写真)

 また、修了制作展前の最後に山小屋で体験した、鳥の水晶体でそこでの出来事に向き合う経験は、また大きく実験を進めた。

 2023年の夏の終わる頃、藝大山岳部の開催するアートキャンプ黒沢“23に参加した。ある日、山小屋への坂を歩いて登っていると、ドンと音がした。目の前で、鳥が落ちた。優しい1人が真っ先に気付き、確認しに行った。なんとかなるかもと少し様子をみたが、すでに息はしていなかった。スキーの移動のための透明な建造物にぶつかって、亡くなってしまったようだ。山小屋の前に、遭難者の石碑があるので、そこに埋めようかなどと話しながら山小屋へ持って帰った。

 結局、水晶体を試してみた。自然で過ごす身体は、都会的身体とは異なる行動を起こす。もしそこが比較的都会にある自分の家の近くや大学であったらやっていなかったかもしれない。日本ではだいたいどの自治体でも、野鳥の死骸は燃えるゴミの扱いになる。森の緑とうっすら風景が映る。山小屋の外でピクニックみたいにして、虹鱒の塩焼きと素麺を食べながら、食べているその水晶体と亡くなった鳥の水晶体でその風景を撮影した。そして山小屋付近の山の風景を撮りに行った。都会では多くの人間の目があるため、水晶体の数も多い、多数の水晶体が見ている環境の風景と、自分とこのトリの水晶体しか見ていない環境にあるこの風景には必至さが異なる。執着心の塊のような写真や映像が美しくないままの状態で残るのである。

 その後、亡くなった鳥の水晶体と、単眼レンズを用いて、埋葬するまでの動画を撮影した。私には、鳥の水晶体で撮影した動画は何が写っているのか十分にわかる。しかし、はじめてみた方にとってはどうかわからない。見えない人には見えるようにするための訓練が必要だ。水晶体で撮影した写真に、近づいたり離れたりして、その水晶体の通った写真を何枚も見るのだ。それでも見られないのであれば、一緒に、水晶体で撮影する実験と、訓練をする必要があるかもしれない。